JPAフォーラム

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コメント: 9
  • #1

    塩澤宏宣 (火曜日, 28 8月 2012 21:35)

     こんにちクール・ジャパンは日本製品に対する評価として定着している。自動車・家電・電子機器は言うに及ばず、映像・音楽からアニメーション・ゲーム、和食などのソフト製品にまで広がり、我が国の理解に貢献している。しかしそこには大別して二つの課題がある。 
     そのひとつは、それら世界が評価する品々の背景にある日本の「歴史・文化」の理解にまで及んでいないこと。換言すればそれらの品々は「日本の歴史・文化の所産」であるということ。
    もうひとつは日本の地方にある名品には十分な光が当たっていないこと。我々はこの2点について特に注力し、更なるブームを本物として定着させたいと考える。
    この続きを引き続き述べていきます。皆さんのご意見を期待しております。

  • #2

    塩幡 一二 (日曜日, 09 9月 2012 17:58)

    当協会は日本文化の海外普及促進が目的の団体です。

    日本文化も歴史や幅が広いので伝統文化に力を入れて行く方針です。

    例えば「KIMONO」「SAKE」「RYOKAN」など外国人に普及して日本フアンを

    会員として登録したいです。知恵を貸してください。

  • #3

    塩澤宏宣 (木曜日, 18 10月 2012 22:45)

     日本の歴史・文化について考察する際、参考になる書がある。「日本文明77の鍵」梅棹忠夫:編著である。日本の古くから継承されてきたモノゴトが現代のモノゴトに与えている関係を記した書で、1983年にホテルプラザで行われた国際会議の外国人ゲスト用に出版されたもの。したがって外国人に理解しやすいような比較文化的手法で述べられている。今回このプロジェクトの参考として、関係が濃いと思われる項目(キーワード)を20余点選んで参考に供したい。

    1.四季
    日本人は自然の変化に敏感な民族といわれ、四季の移り変わりに応じて、衣装や家具をかえ、旬の食物をあじわい、風景の変化を楽しむといった習慣がある。俳句は季題があり、生け花、茶の湯でも季節感は最も重要なテーマである。
    日本列島は南北に細く長く連なっている。アメリカ大陸でいえばシアトルからメキシコ中部までという長い距離にわたる。冬期の気候を支配するのはシベリア気団で、バイカル湖からモンゴル付近の寒気団が周期的に日本を襲う。その季節風は日本海で対馬暖流の湿った空気をたっぷり吸い込み、列島の山脈にあたり大雪を降らせる。夏期は太平洋高気圧の影響が大きく列島に大量の熱と水蒸気が持ち込まれる。夏の初めには雨期がある。オホーツク海の冷たい気流と太平洋高気圧が列島上空でぶつかり梅雨前線が停滞して雨天が続く。その雨が日本の水田稲作を可能にした面もある。8~10月には南方海上で発達した熱帯性高気圧が台風となり日本を襲う。春と秋はそれぞれの激しい季節の間にあり、天候の変化は多いが、古来から最も過ごしやすいと好まれた季節である。この温暖な気候は産業の発達、文化の向上といった近代社会の実現のための自然的必要条件の一つだった。

  • #4

    塩澤宏宣 (金曜日, 26 10月 2012 20:40)

    2.世界最古の土器
     後氷期の気候変動で大型獣が絶滅し、食物の中心は植物の管理栽培になった。時間をかけて煮込む料理には土器が必要。土器の発明は日本が一番古く、いまから1万6523年前といわれる(青森太平山遺跡)。縄文土器は草創期からサイズは大きいものもあり、装飾も立派である。土器製造技術は最古のものでも技術的に整い、それを支えた社会的基盤が確立していた証拠である。やがて器形やサイズ、装飾が多様化する。調理、貯蔵のほか徳利や祭器具、埋葬品があり、大量に生産されたことも分かっている。青森県三内丸山遺跡では前期から中期末までの約1500年間に使用された土器は300トンにもなると推定される。亀ヶ岡式土器は薄く、軽く細密な模様で鉄製品のように見える。やがて大陸よりろくろ、かま、陶器、磁気、染付けなどの技術がぞくぞく移入されたが、それらの技術を難なく受け入れ、更に深化させて独自の陶芸技術体系を作り上げていった。現代日本の製陶産業はチタニウムや珪素を原料にする「ニュー・セラミックス」産業として成功。その技術は世界の最高水準にあり、エレクトロニクスや宇宙開発に直結している。その伝統は縄文時代に源流がある。

  • #5

    塩澤宏宣 (月曜日, 19 11月 2012 21:06)

    3.貝塚
     貝塚をもつ遺跡は、一般的には定着性の強い大型である。縄文貝塚では、早期段階ですでに釣り針、モリ、魚網用オモリなどの基本的漁具をほとんど揃えていた。後の時代はそれらを精巧化させただけ。縄文中期の中里貝塚(東京都)のように、単一種の貝が大量に集積されたことは漁業の専門化が進み、食品製造所があったという証拠である。この専門化は8世紀頃より塩蔵、干製品を中心としたさまざまな加工法が発達させた。中世以降はナマコ、アワビなどが対中貿易の主要品目になった。海産物に対する日本人のこだわりは「料理」におよび、新鮮な魚を生のまま食するという刺身・すしなどの芸術的な日本料理を作り上げた。
     日本人の摂取する動物性たんぱく質の40~50%が魚介類である。アメリカ・ニュージーランドの5%以下、スペイン・ロシア・デンマークの20%と比べるとその高さが分かる。世界的長寿国の原因としての魚介類中心の日本食が注目される要因となる。1万年の伝統だ。

  • #6

    塩澤宏宣 (金曜日, 30 11月 2012 21:47)

    3.貝塚
     貝塚をもつ遺跡は、一般的には定着性の強い大型である。縄文貝塚では、早期段階ですでに釣り針、モリ、魚網用オモリなどの基本的漁具をほとんど揃えていた。後の時代はそれらを精巧化させただけ。縄文中期の中里貝塚(東京都)のように、単一種の貝が大量に集積されたことは漁業の専門化が進み、食品製造所があったという証拠である。この専門化は8世紀頃より塩蔵、干製品を中心としたさまざまな加工法が発達させた。中世以降はナマコ、アワビなどが対中貿易の主要品目になった。海産物に対する日本人のこだわりは「料理」におよび、新鮮な魚を生のまま食するという刺身・すしなどの芸術的な日本料理を作り上げた。
     日本人の摂取する動物性たんぱく質の40~50%が魚介類である。アメリカ・ニュージーランドの5%以下、スペイン・ロシア・デンマークの20%と比べるとその高さが分かる。世界的長寿国の原因としての魚介類中心の日本食が注目される要因となる。1万年の伝統だ。

    4.米の経済
     米は数千年前に熱帯アジアで栽培化され、日本へは縄文前期(600年前)から移入されていた。また、生産量が多くて安定した収穫が見込める水田稲作が、中国南部から直接に、あるいは朝鮮半島南部経由で渡来した(約3000年前)。これによって日本は本格的な農耕社会が形成された。この時代を弥生時代という。水田稲作はまず西日本に広がり、その後着実に北上し、8世紀までに北海道を除く全地方で定着した。北海道に稲作が普及したのは約100年前であるが、今では米の主要生産地である。ごはんと大豆から作った味噌汁、少量の魚と野菜の食事は日本の標準食。低カロリー、低コレステロールの日本食は、肉食中心の欧米型食事と対照的な健康食として、近年は世界の評価が高い。
     水田という特殊な施設を利用する稲作は、肥料が少なくて済みしかも連作が可能である。国土の15%しかないのに完全な自給自足である。封建支配者(戦国時代より)の最大関心事は支配地内の米の生産量を上げることであった。そのためには水利灌漑事業が発達した。堤防工事、分水のための溝の造成工事などは第一級の技術を誇った。農民も農具や早稲・晩稲・寒冷適応種など稲の品種改良などの努力を続け、単位面積あたりの収穫量は世界最高水準を示すにいたった。この米作技術は明治以降、移民によって米国、ブラジルなどに伝えられ、カリフォルニアは現在世界有数の米の産地となっている。

  • #7

    塩澤宏宣 (水曜日, 19 12月 2012 11:03)

    5.金属器
     日本に金属器が大陸から伝えられたのは縄文時代末で、鉄器だった。青銅器は弥生時代初期からで、歴史一般の順序が逆である。日本ではしばらく石器・青銅器・鉄器が並存していた。やがて石器は消滅し青銅器が大量に普及した。争いの多い周辺諸国は鉄器の需要が多かったが、平穏な日本は青銅器が普及した。象徴的・呪術的な道具が珍重された結果である。銅剣・銅鐸などは権威の象徴であるが祭具という説もある。王権が確立した古墳時代になるとそれらは突然消滅する。
     一方、鉄器は最初から実用的な品物に限られていた。初期の鉄器は穂刈包丁、鍬先、小刀などの農機具だった。これらは最初、朝鮮半島より輸入されていたが、まもなく日本でも作られるようになった。日本の製鉄は「鍛造」技術が卓越していた。その伝統は後代に美術品レベルまでに高めた日本刀の製作につながる。鉄の原料は主として砂鉄であったが6世紀頃から発達した。15世紀頃の日明貿易では日本刀が輸出の主要品目であった。鉄砲が伝わる(1543年)とわずか数年後には日本製のものを作られた。その背景には伝統的な鉄の鍛造技術の発達があったのである。天皇が皇位を継承するに当たって受ける三種の神器が鏡(青銅器)、剣(鉄器)、玉(石器)であることは、日本の先史時代の技術プロセスを反映するものである。

  • #8

    塩澤宏宣 (水曜日, 26 12月 2012 16:44)

    6.京都
     京都に都が置かれ平安京と称したのは794年であるが、その後、東京に遷都されるまで1000年以上首都として存在し続けた。東西4.6キロ、南北5.3キロの長方形で北端中央部に宮殿を持つ。本来国がつくるべき仕事に民間の資金と能力を導入した。現代でいえば第3セクター方式に近いものであった。すでに確立して富を蓄えた養蚕業の力が大きい。
     平安京が軌道に乗った9世紀は、中国の唐との交流が盛んで、遣唐使を通じて多くの文物が持ち込まれ、唐風文化が栄えた。しかし、唐が滅び国交が停止すると「日本化の時代」が来る。日本人の眼は自国に向けられ、外来要素を取捨選択した。その基準は「肌合い」だ。そして肌にあった要素を適応させて日本独自の文化を形成していった。これが10~11世紀の国風の起こりで、日本文字(カナ・ひらがな)による物語をはじめとして、絵画、彫刻、建築などに和風のものがつくられた。その中心は京都であり、そこに住む宮廷貴族であった。

  • #9

    松本邦彦 (土曜日, 20 4月 2013 14:09)

    昨日の総会に参加させていただきましたNikki Matsumotoこと、松本邦彦です。皆様の貴重なお話、とても勉強になりました。このフォーラムでも塩澤様の投稿を読ませていただき、日本という国に生まれてきた私自身の事を、もう一度見つめ直しているところです。

    私は18歳でアメリカに渡り、36歳で帰国しました。相当アメリカナイズしてしまったのは事実ですが、それ以上に、普通に日本で暮らす日本人の西洋化には違和感を感じました。帰国後は私は日本文化を再発見し、和楽器グループを結成したのです。食事も肉食を止め、魚中心に切り替えました。食生活までも西洋化した現在の日本。本来の生活スタイルを再考する、それだけでも日本人らしさを取り戻す事はできるはずです。

    自分が日本人である事の意味を教えてくれる皆様の存在は、とても有難いです。その活動が日本中に広まる事を期待しております。

お願い

JPA日本文化海外普及協会は、設立趣旨に賛同する方の参加とご協力をお待ちしています。

日本文化をより深く理解するために各分野の専門家による「和の祭典」を適時開催する予定ですので、参加を希望する場合には日時・場所・テーマなどをご確認の上、それぞれの担当者または事務局にお申し込みください。

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